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イベントレポート

この物語は、肝心のレース内容よりも他の出来事に重点を置いて書かれたフィクションです。

シンガポール独立記念日 公道DRAGレース参戦【1/4】

レポート1

今年の春先から、「シンガポールで大きなストリートドラッグがある」とか、「ジャッキーチェンも出場する」等の情報をキャッチしていたのですが、HKSさんが、180SXのプロストックマシンを走らせる話を聞いていたので、出るだけ無駄だという事と、マレーシア4戦に加えシンガポールまでともなると、日程的に厳しいので聞き流していました。

6月某日。
以前からお知り合いのシンガポールの「STパワード」というショップの方と食事をする機会がありました。その席で、「シンガポールのドラッグレースには出ないのか?
シンガポールでG/FORCEのEVO5を知らない奴はいないぞ!賞金25000SGドル(日本円で150万円強)だぞ!」と言われ、ぐらっときました。しかも、HKSさんは、エキシビションで、レースには参加しないそうです。
ただ、マレーシアで走らせているスポンサーの絡みがあり、自分ひとりでは決めることが出来ないので、7月にマレーシアに行った時に相談しようと思いました。

それから何日か後。シンガポールのショップの代理という方から連絡があり、「お金を出すので、そこのショップのステッカーを張って、シンガポールで走ってくれないか」との事でした。お返事はマレーシアから帰ってからということで、保留にしてもらいました。

7月5日。

マレーシアで行われる「ドリームカー、アジア」に向けて日本を旅立ちました。この日は、僕の41回目の誕生日でした。

マレーシアのショーでは、「RH9」ブースの店番をしていましたが、朝10時から夜10時まで会場に缶詰で、まるで拷問のような4日間を過ごしました。

一緒にマレーシア担当だったデュークの根塚社長に、シンガポールのレースの話と賞金の話を教えたら、早速チームオーナーと会議になり、なぜかデュークさんのR33-pro GT-Rも参加する事で話が進んでいた。
しかも、レギュレーションでフロントのアクリルガラスが禁止なので、ガラスを交換してまで参加するそうだ。
なんと、お先真っ暗である。

PRO GT-Rとなんて、1秒以上も違うんだから同じ土俵で戦うこと自体間違ってるよね。

最終的に、遠征費をマレーシアサイドでスポンサーを獲得して2台を送り込み、優勝した場合は、経費を引いて山分けという事になりました。

(この時点で反省。 「やはり儲け話は、他人に洩らすものではない」)

帰国後。シンガポールのレースまで1ヶ月の間に準備が大変です。

先ず、このレースは、FIA公認のインターナショナル格式のレースなので、国際C級のライセンスが必要なのですが、そんな物を持っている訳がありません。そこで、JAFから海外競技会参加出場に係る証明(だったかな)というのを出してもらい(申請料1万5千円なり)、シンガポールのSMSA(シンガポールのJAF)からコンペティションライセンスを発給してもらう事になり、JAFの横浜支部に申請に行ったり、前回壊れたタービンの代わりと、ガスケット類の手配。バッテリーがあがって復活しないとの事だったので、バッテリーの手配。16インチのドラッグ用タイヤ&ホイールとノーマルブレーキの発送等です。

7月末。

付き添いメカニックを決めて、航空券の手配をしてもらった後に、マレーシアサイドから、「ノキアのスポンサー獲得に失敗したので、取りやめるか、自腹で行ってくれ」と、連絡が来た。(号泣)そりゃないよね。
時を同じくして、シンガポールのショップからも、「やっぱりキャンセル」との連絡(再び号泣)。

前途多難な状態に陥ってしまった。

チーム参戦ではなくなったので、賞金は独り占めできるが、pro GT-R相手に勝てる見込みなど有るわけが無いし・・・・・・・・。

しかし、今更参加を取りやめるのもしゃくなので、スポンサーをゲットして無事参加できるように頑張った。

8月5日。

早朝、成田に向けて出発した。夏休みシーズンで、空港付近のホテルの料金が高く、屋根付のパーキングの方が安かったので、今回は当日出でした。

たいした渋滞も無く、無事に成田にたどり着き、時間が有ったので、朝飯を食ったり、両替をしたりして時間をつぶし、1時間前に出国ゲートに向かいました。

案の定、手荷物検査でタービンが引っ掛かり、「中身は何ですか?開けて下さい」と、女性の係員に言われたので、「爆弾です」と言ってみたが、反応が冷ややかだった(前回、藤嶋がボディチェックを受ける際に、「気をつけて!こいつは股間にバットを隠しているから。」と言ったら、若い女性は大いに受けてくれたんだけどな)。
結局、女性にタービンだと言ってもわかってもらえず、男性の係員を呼んだりして時間を要しました。そして、その先はなぜか長蛇の列です。
なんと、夏休みの出国ラッシュだというのに、審査の窓口が3つしか開いていません。列の中程までさしかかったあたりに後ろを振り向くと、隣の列の後方に、ダウンタウンの浜田さんを発見しました。周りの人は、気がついていないようです。浜田さんは、マネージャーさんらしき人と3人ぐらいで、並んでいましたが、あまり見ているとどつかれそうなので、チラッチラッと見ながら、金澤に教えました。

書き忘れましたが、今回のお供は、青森店の金澤君です(横浜が忙しすぎて、藤嶋を連れて行くのには、無理がありすぎました)。

ようやく出国検査も終わり、免税店でタバコを買って、ゲートに向かい歩いていたのですが、なにやら聞き覚えのある名前が放送されました。時間を見ると、出発5分前です。

「やべー」と、小走りに動く歩道を走りましたが、次の歩道が詰まっていたので、動く歩道から逸れて走りました。しかし、虚しい事に歩道を歩いている人と速さは変わりませんでした。
お迎えの係員に遭遇し、案内をしてもらい無事ゲートに到着し、機内に向かいました。この時はまだ出発時間前だったのですが、僕は、出発時間を10分も20分も遅らせても平然と機内を歩いてくる輩が大嫌いなので、他人の目を気にしながら席に向かいましたが、まだ立って歩いている方も多く、目立ちませんでした。座席は、予定どおり3席独占でした。

昨晩も仕事の帰りが遅く、ほとんど寝ていませんでしたので、離陸後、横になって爆睡しました。4時間後ぐらいに目を覚まし、機内食を食べて、映画を見ていると、シンガポールのチャンギ空港に到着しました。

到着後、直ぐに屋上で一服して出国ゲートを抜けました。

1時間後に関空からやってくるデュークの根塚さんと、野村さんを待つ事にします。

シンガポールは、マレーシアと違い空港ロビーで声をかけてくる怪しい人はいません。外でタバコを吸いながら時間を潰しましたが、止まっているタクシーは、ベンツのEクラスとVばかりで驚きました。

しばらくして、「ドリームカー アジア シンガポール」のスタッフが迎えに来てくれたので、今後の予定を聞きながら一緒にデューク組を待ちました。

デューク組が到着したので、周りのお迎え軍団の真似をして紙に「Mrスケコマシ」と書いて掲げ、出迎えました。

荷物をMrリョン?の車に積んで、空港を後にします。

向かう先は、病院です。このレースは、FIAのカレンダーにも載っている格式高いレースなので、ドライバーはメディカルチェック(医師の診断)を受けて、オーガナイザーに提出しなくてはいけないそうです。

病院(マッサージ屋かと思ったよ)に到着して、問診、視力検査、検尿、内診、破傷風の注射を打ち終了しました。この後は、会場を視察します。10分程で会場の公園に到着しました。丁度、僕らの車が到着してレッカーから降ろされているところでした。辺りは既に暗くなっていたのですが、コースは一般道ということもあり、かなり狭かったです。

でも、この時点で「本当に明日からレースになるの?」ってくらい何も周りには出来ていませんでした。エボから荷物を降りしてからホテルに向かいチェックインしました。

このホテルは、今回スポンサーになってくれて、料金はかなりディスカウントしてくれるそうです。星が4つ位付いているそうで、部屋のグレードも良かったです。部屋で荷物を整理していると、根塚さんから電話があり、晩飯を食いに出ることになりました。ホテルに隣接されているショッピングモール内にある「MASAKATU」という日本料理屋?
(そばとか、ラーメンとか、カレーが、主)で、無難にカレーを食べました(根塚さんは、冒険しません)。
その後、部屋に戻り、寝ました。zzzz。


 
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